僕の所属している日本センチュリー交響楽団ですが、実は「ウェブマガジン 」なるものを配信しております。
その中のコラムに「My Favorite Thing」というものがあるのですが、僭越ながら私めが今回のお役目を頂戴し、書かせて頂く運びとなりました。
内容は、僕がいつ音楽に興味を持って、楽譜を書くようになったかの経緯(いきさつ)が書かれています。
自分のブログよりも、少しだけよそ行きな文面になっている気がします。笑
この記事の補足、と言うわけでもないのですが、先日少しだけ印象主義音楽について調べていた時のことです。
調べていた内容は、現在のいわゆるポップミュージックで使われているコードと印象主義音楽で使われている和音との関連性なのですが
ドビュッシーのことを調べているうちに、こんな論文を発見いたしました。
「ドビュッシーの和声法について 〜そのカデンツの変容と崩壊〜」
とても興味深い論文の内容だったのですが、この中の4ページ目にこんな一文が
「彼が音楽院の学生のときに、長七度の和音の響きに驚喜した」
この長七度の和音とは、いわゆるメジャーセブンスと呼ばれる和音。
コードで表すなら「CM7」「C△7」となり、ピアノで弾くなら、全て白鍵で「ドミソシ」を弾くと奏でることができます。
いや実はですね、大変おこがましい表現になってしまうのですが…僕も高校の時にこの長七度の和音に驚喜してました。
初めて耳にした時の衝撃といったら凄くて、休み時間に合奏室へ行ってはピアノでひたすら長七度の和音ばかり弾きまくるほど。
この長七度の和音だけで主題が進行していく代表的なピアノ作品に、印象主義音楽を代表する作曲家エリック・サティの「ジムノ・ペディ」があります。
ジムノ・ペディは元々ピアノ作品で3番まであり、この最も有名な曲はピアノ作品でいうと1番にあたります。
と言うのも、実はこの作品を後にドビュッシーがオーケストレーションするのですが、その際に取り上げたのはピアノ作品のうち1番と3番のみ。
さらに、ドビュッシーの管弦楽版では順番か入れ替わっているのです。
つまり…
サティ1番→ドビュッシー2番
サティ2番→
サティ3番→ドビュッシー1番
こんなナンバリングになっているのですね。
ただ、最近では混乱を避けるためか、管弦楽版でも原曲の番号に沿った表記がなされることがあるようなのですが…却って混乱を招いている気がします。笑
ちなみに、その長七度の和音とペアのような存在に短七度の和音(マイナーセブンス)があります。
こちらは、「Am7」というコードの表現で、ピアノなら全て白鍵で「ラドミソ」を弾くと奏でることができます。
コードという概念でいうと、これらの和音はジャズやボサノバでの使用頻度は群を抜いて高いと思うのですが
現在のポップス、或いは映画音楽でも本当に頻繁に使われる和音だと思います。(久石譲さん・吉松隆さんの作品に顕著に見られますね)
しかしその源流には、印象主義よりももっと前、モーツァルトなどの古典派や、さらに遡ってJ.S.バッハなどのバロック派に見られると、僕は思います。
僕は対位法をちゃんと学んでいないので、音符の上での厳密なルールがわからないため、具体的な説明ができないのですが
古典派であれば「非和声音」という言葉で説明がつけられます。
が、ブログで分かりやすく説明できるだけの資料が揃えられないので、このお話はまた今度…(泣)
ざっくりした説明と結論だけ言わせて頂けるならば
「掛留音」「倚音(いおん)」など多種類ある非和声音は、解決する前の音に長七度・短七度の和音が生まれやすいが、古典派・ロマン派の時代はそれを必ず解決させなければならなかった。しかしドビュッシーの「今日の不協和音は明日の協和音だ!」という言葉から見て取れる通り印象主義の作曲家は、そのルールから脱却し、解決前の音を独立した「和音」として使い始めたのではないか?ということです。
将来的に、音源や楽譜の資料を作って、
HPの中で「簡単楽しい音楽理論」のページでも解説しようと思います。笑
〜あとがき〜
ところで、コラムってどんな意味なんだろうと思って、調べてみたんです。
そしたら、大元はラテン語で「円柱」を表す言葉だったそうな。
それが転じて、新聞や雑誌などの囲み記事
つまり、「縦長の枠に囲まれた短い評論」を意味する言葉として使われているのだそうです。
代表的なものに
・朝日新聞の「天声人語」
・読売新聞の「編集手帳」
・毎日新聞の「余録」
が、あります(^^)
※引用元:日本大百科全書(ニッポニカ)