珍しく、創作活動なんかしてます。
この1~2年で、作曲のお仕事を頂く機会が(ほんっとぉぉぉに少しですが)あったせいか
調子に乗っているのだと思われます。笑
怒涛の編曲祭りから解放され、少し余裕ができたここ数日。
編曲ではなく、自分の中にあるちょっとしたフレーズとかを楽譜に起こしたりしてます。
気ままに絵を描くのと、似ていますね。
ただ、当方壊滅的に味のある絵なもんでして、その代わりに音符を書いております。
別に本番があるわけでもなく、誰かにお願いされたわけでもない。
ただ純粋に、自分が書きたい音を書いていく。
楽しいです。
僕は中学生の時、しきりに「作曲家になる」と言っていました。
どこまで本気か分かりませんが、何かとそう言っていました。
ただ…詳しくは書きませんが、大学の時に(あくまでも主観ですが)壮絶な挫折を味わったがために、「作曲」という言葉を封印しました。
こんな恥ずかしい思いを、こんな情けない思いをするなら、しないほうがマシだ。
でも、抑えきれなかったんでしょうね。
何かの折に、悪いことしてるのを隠すかのように、浮かんだメロディを大切にしまって、何度も何度も頭の中で反芻(はんすう)したりしてました。
「作曲家になる」
これは、どんなに馬鹿げていても、自分の原体験であることには間違いありません。
そして、途中であきらめたとしても、違う方向からその夢を叶えることができた今。
原体験=自分の中に自然発生した原始的欲求は、何をしたって忘れることはできないし、消すこともできない。
やりたいと思うことを口に出し、下手でもなんでもいいから具現化し、苦痛をなめ、罵倒されながら、前に進んでいけばいいと思うのです。
人から良い評価をされず、口先を尖らせているのは、そこにエゴしかない時だと僕は思います。
「自分はこの音が好きだから」
「自分が作ったこのフレーズは素敵だから、絶対にこのまま形にする」
じゃあ聞こう。それは、誰かのために書かれたものですか?誰かを幸せにするものですか?
そう当時の自分に問うたら、きっとそいつは無言でうつむき、時間が経つのを待つことでしょう。
三人兄弟の末っ子で育ってきたそいつは、そうやって時間が過ぎるのを待つ卑怯者でした。
でも、そんなそいつが中学生の時に作曲し、初めて人前で演奏した作品。ホルンとトロンボーンとチューバのための曲。
残念ながらこの世にはもう楽譜は存在しませんが(吹部の楽譜が残ってて、かつ同級生二人も持っていたら話は別ですが)
それには、「自分が大好きで仲の良かった信頼できる仲間と共演する」という確固たる目的がありました。
演奏を始める前にお辞儀をするのを忘れはしたものの(笑)
唯一あの曲だけは、存在意義があったんじゃないかな、と思いたい。
中学生の自分が書いた曲なんかを演奏させてくれた、自分の所属する吹奏楽部、顧問の先生、先輩や後輩に、今思えば感謝ですね。
そんなことを思い出しながら、今の僕はどこかの誰かのために、楽譜を書いています。
思い出話でした(^^)
~本日の名言~
人生の目的は、自己実現である。
頭の中だけでどれだけ壮大なことを考えていても、形にせず誰にも知られなければ、何も考えていなかったのと同じ。
本当に好きなら、罵倒されても鼻で笑われても、まずはこの世に形を残すことが、初めの一歩。