実は今年に入ってからジャズ和声についてレッスンを受けております。
昔から「和音」というものが好きで、それが高じて作曲やら編曲に興味を持ったのですが
ジャズの和声・和音を学ぶと、同時にクラシックの作曲家の偉大さを感じられます。
それに加えて、アプリを使ってではありますが、ドイツ語の勉強も始めました。
英語なら「いやいや、これはただの小麦粉ですよ!」くらいのことは話せるのですが
ドイツ語だと、カタコトの「ビール下さい」程度しか話せません。
もう少し話せたり読めたりできたら、楽しいし音楽の幅も広がるだろうなぁ…よし、学ぼう!
と思い立って始めました。単純(でもそれが一番大切!)
ちなみに僕が使っているのは「Duolingo」という基本無料の語学学習アプリ。
単語はもちろん、豊富な例文を用いた和訳・英訳問題。
そしてなんと「リスニング」と「スピーキング」の問題まであるのです。
このアプリで勉強を始めてもう21日が経つのですが(あ、習慣化成功!笑)
やはり自分の口に出して音読することが、習熟度を上げる方法なのかなと実感しています。
話を音楽に戻しますが、いわゆるクラシック音楽の時代から現代に至るまで、本当に星の数ほどの作品がこの世に生まれてきました。
つい3年ほど前から「洋楽」というものを知り、なんとアーティストの多いことか!
そして、全く知らなかったけど、なんと素晴らしい曲の多いことか!
そうです。知らないだけで、自分が思っている以上に自分好みの音楽作品というのは、あるものなのです。
また別の視点から言いますと、例えば僕はベートーヴェンの交響曲を9曲全て演奏したことがあります。ピアノ協奏曲やヴァイオリン協奏曲はもちろん、ホルンソナタも吹いたことかあります。
でも、それだけでベートーヴェンを知っていると言えるのだろうか?
ベートーヴェンとはこんな人で、こんな作風なのだと
ピアノソナタやヴァイオリンソナタ、弦楽四重奏、歌曲など、僕が聴き・演奏してきたものを遥かに凌ぐ曲数を聴かずして、語って良いのだろうか?
出した答えは「否」です。
物事の一部分だけを見て判断するのは、大変危険なことである、と最近僕は思います。
例えば、大阪万博の時に建てられた「太陽の塔」。
あれの顔がどんなだったか、思い出せますでしょうか?
Aくん「なんだかむすっとしてる、白い顔だろ?」
Bくん「冗談だろ?鳥みたいな顔してて、色は金ピカさ」
Cくん「ち、ちょっと待ってよ!僕が知ってる太陽の塔は、細目で真っ黒な顔だよ?」
ではここで、太陽の塔を見てみましょう。
お気付きでしょうか?
そうです。太陽の塔には、正面に二つの顔があったんです。そして…
はい、裏側にももう一つ、顔がありましたね!これがCくんの言っていた「顔」です。
とまぁ、随分とローカルで伝わりづらい例え話をわざわざ写真を挟んでまでしてしまいましたが、要はそう言うことです。笑
偏った部分だけをみて、その全てと思うべからず。
というわけで、僕は早速モーツァルトが作曲した弦楽四重奏の1番を聴いてみました!
モーツァルトが14歳で書いた作品だそうです。
4楽章で構成されているものの、通した時間は18分ほどとコンパクト。
聴いてみると、今まで聴いてきたモーツァルトのスコアからすると、やや不思議なと言うか、野暮ったいような音が時々聴こえてくるのです。
それは、音域(音の配置)だったり、リズムだったり、トリルだったりして「あれ、いわゆるモーツァルトならこう書くんじゃないのかなぁ」と思ってしまいます。
(本当は実際のスコア&音源と、こうなるんじゃないかというスコア&音源を比べて頂きたいのですが、残念ながら今回は割愛させて頂きます。泣)
しかしながら、それらを差し引いて余りあるほど素晴らしい点は、そのなんとも瑞々しく爽やかなサウンド!!
バロックの香りがまだ残っているかのようで、とても透明感に溢れ、モーツァルトの音楽にある純粋さの根っこの部分を見ているかのようです。
これは、次の作品を聴くのが楽しみ!めちゃめちゃハッピーな出会いでした!
といった感じで、自分の知らない作品を片っ端から1日1曲ずつ聴いていきたいと思います(^^)
ただ、さすがにそれを毎日ブログに書くのは、ご覧になられる方もうんざりされるかと思いますので(笑)
初めて聴いた作品に「心が動いた」時にだけ、ブログにまとめる。
「今日の1曲」は、そんなシリーズにしたいと思います。
〜本日の名言〜
木を見て森を見ず